どうモー、うしコラムです。
いよいよ寒くなってきましたね。朝、牧場で診察をしていると、風邪でもないのに鼻水がぽたぽたとこぼれ落ちてきます。この時期、直腸検査(牛のお尻に手を突っ込んで牛の体調を調べる検査です)をしていると、牛の体内が本当に暖かくて、コタツにでも入っているかのような気持ちになります。でも牛にとっては迷惑でしょうから、名残惜しみながらもさっさと手を引いてしまうのですが。
さて、この時期と言えばクリスマス。クリスマスと言えばイエス=キリストの誕生日ですね。
キリストの誕生の場面は、昔から様々な画家によって描かれてきました。その絵の中に出てくるのは主役のキリストのほか、聖母マリア、その夫・聖ヨセフ、東方の三賢人、天使などで、描かれ方や構図は様々です。実はその中にしれーっと混じってかなりの高頻度で出現しているキャラクターがいるのですが、何かお分かりですか?

そう、
牛なんです。上の絵でも、どっちにも描かれていますね。
今回はこの宗教画に描かれる牛に関するエピソードを少し。
「キリストは家畜小屋で生まれた」と言われているので、その様子をあらわす動物として牛が描かれていても不思議ではありませんね。
よく言われている「キリストは馬小屋で生まれた」というのは実は聖書の和訳の過程で生じた誤解なのだそうで。もしかしたら、日本ではより馴染み深く、馬小屋で生まれたとされる聖徳太子のエピソードに引きずられたのかもしれません。
キリスト教の中で重要なこの場面に牛が標準装備のように描かれるようになったのは、こんな理由があるそうです。
①牛は清い動物だから
実は聖書の世界では、
「蹄が分かれている」
「反芻をする」
この2つを満たす生き物は清い、とされているのです。だから聖人の誕生を祝福する生き物としてうってつけというわけですね。
ちなみにこの際の「清い動物」というのは、「人間が食べてもいい動物」という意味にも解釈されるそうです。
②牛は「謙遜と奉仕」の象徴だから
「牛がいるような粗末な環境で生まれたんですよ」というのが聖人の謙虚さを表していると解釈されていますね。
また、牛は食べ物になるだけでなく、昔は労役に使われていたので、なんとなく奉仕・献身のイメージがあります。
私個人としては、聖母マリアの真冬の、家畜小屋での出産はそれは大変だったでしょうから、せめて温かい牛がいて良かったですね…と思わずにはいられません。牛って、ぎゅーっとくっついてみたら、ほんとにあったかいですから。
















